歌聖とは、歌詠みをする人としての歌人のうちでも特に和歌に秀でた歌人のこと、また、古今和歌集の序文である仮名序に特別その名を挙げられている山部赤人と柿本人麻呂のことです。
元来、和歌に秀でた歌人を敬意を持って歌聖と尊称することがありました。
しかし、平安時代に国風文化が花開き、勅撰和歌集の古今和歌集が初めて編纂され、『やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける』という有名な一文から始まるその仮名序において、紀貫之等が和歌の変遷などについてを、大雑把に著名な詩句のうちの幾つかを引用しながら記述しました。
『いにしへよりかく伝はるうちにも奈良の御時よりぞ広まりにける。かの御代や歌の心を知ろしめしたりけむ。
かの御時に 正三位柿本人麿なむ歌の聖なりける。これは君も人も身をあはせたりといふなるべし。秋の夕べ竜田川に流るるもみぢをば帝の御目に錦と見たまひ春のあした吉野の山のさくらは人麿が心には雲かとのみなむおぼえける。
また山の辺赤人といふ人ありけり。歌にあやしく妙なりけり。
人麿は赤人が上に立たむことかたく赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける。』
――仮名序『古今和歌集』
これによれば、奈良時代から和歌が現在の形で広まり、その頃の歌は万葉集に集められているのであるがその中では、歌の聖である柿本人麻呂と山部赤人が殊にすばらしい、そして絶対的に山部赤人の技能より柿本人麻呂の技能が上である、という1つの論評が明らかにされたことになります。