文屋康秀は平安時代前期の歌人で、六歌仙の1人です。中古三十六歌仙の1人としても挙げられます。生年は不詳の人物ながら、仁和元年(885年)に亡くなったとされます。
他の多くの六歌仙同様、小野小町と同時代と目されている人物です。
文屋康秀は小野小町と親しい間柄といわれます。
文屋康秀が三河国に赴任させられる平安貴族としては三河守、三河介に次ぐ三河掾(じょう)として任地に赴く際、小野小町を連れに誘ったというお話が残されています。
小野小町は『わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ』と返答したというのです。現代語訳としては、辛く思っているので、根を絶たれた浮き草のように、誘う水があれば流れようと思います、という感じです。擬人法を採りいれた比喩的な表現方法が冴え渡っています。
春の日の光にあたる我なれど 頭の雪となるぞわびしき
文屋康秀『古今和歌集』
:春の日の光にあたっている我であるが、頭の雪のように髪も白くなる不遇がわびしい。