柿本人麿




柿本人麿は、飛鳥時代を代表する歌人です。唐の文化を参考に片仮名が作られたり中央集権国家としての都作りが完成したりする以前の、当時の国守であり、欠史八代とされる時代に遡る出自を称するとして、謎の多い生涯で知られます。

しかし、万葉集には数多くの秀歌が残されていて、660年頃から養老4年(720年)までを生きた人物で、現・出雲市のある石見国守とされ、子孫は石見国郡司となったといわれています。また、石見国鴨山で詠まれた歌であるにもかかわらず、多くの人の中でもその辞世歌が万葉集に収録されています。

平安時代には歌聖とされて、崇められ、三十六歌仙の1人にも数えられています。

平安時代以後、『人丸』と表記される場合がありますが、『人麿』あるいは『人麻呂』と表記されるのが一般的です。

  鴨山に 岩根し枕ける 吾をかも 知らにと妹(いも)が 待ちつつあるらむ
  柿本人麻呂『万葉集』
:鴨山にて、岩に死すことを知らぬ恋人は、今現在も我を待っているだろうことだよ。




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