本歌取りとは、和歌を作る技法の1つです。
有名な和歌を本歌としてふまえて、その内の1句あるいは2句くらいを自作の短歌などに取り入れ、歌を作ります。
本歌の内容が基本になっていて、そこから更に表現する部分があるので、歌の内容が多層的になりがちです。
例.
三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも かくさふべしや
額田女王『万葉集』
三輪山を しかも隠すか 春霞 人に知られぬ 花や咲くらむ
紀貫之『古今和歌集』
本歌にあたる額田女王の万葉集の歌のうちの、第1句と第2句をそっくり借用して、三輪山をみる昔の人の思いという定型に思いを馳せてから、本歌取りをした紀貫之のほうは続きを詠じたことになります。
当初は、本歌取りに批判がないわけでもなかったのですが、平安時代の貴族の藤原俊成はそうではありませんでした。
藤原俊成もまた、本歌取りの短歌を残しています。
例.
さつきまつ 花たちばなの 香をかげば むかしの人の 袖の香ぞする
詠み人しらず『古今和歌集』
たれかまた 花たちばなに 思ひ出でん われも昔の 人となりなば
藤原俊成『新古今和歌集』
『花たちばな』に寄せる生活感が、古今東西変わらないという思いがこもっていて、本歌取りの基となっています。
愛される『花たちばな』をみる自分が、昔のゆかしい歌人に重なるとき、そのような自分はいつも昔の人を思いつつ、昔の人として思われもする、そして同じ思いをした詠み人しらずの歌人に共感を禁じえないのだ―といった本歌取りの技法ゆえに滲む思いが、三十一文字に残された、花のある生活の藤原俊成のふと感じる果かなさに重なります。
藤原俊成の子・藤原定家は歌人としても有名です。
藤原定家は、本歌取りの原則を『近代秀歌』、『詠歌大概』において、本歌取りの原則的な事柄についてまとめる記述をしました。
曰く、句の置き所を変えないならば2句まで、句の置き所を変えるならば2句と更に3、4文字まで本歌を下敷きにするのがいい、そして、枕詞や序詞の入った本歌については、あまりに有名な名句という評ではないならば初2句までそのまま本歌取りに用いてもいいが、本歌と主題を合致させるのは避けなくてはいけない、本歌のネタ元として三代集と『伊勢物語』と『三十六人家集』のみを採用し、昨今の詩からは引っぱらないようにするのがいい、というものです。